講師 特別養護老人ホームほほえみの園 施設長 山田直輝 氏 外 職員5人
〇 当施設においては、2017(平成29)年度から2名のインドネシア留学生が、スタッフ
として介護業務に携わってきた。利用者の方々には外国人が働いていることを理解してい
ただきたいと思っている。
〇 認知症の予防には、運動・人とのつながりを持つこと・新たなことを勉強していくこと
が必要であり、また、朝早く起床するなど習慣を持つことが大切であるとの話がありまし
た。
〇 インドネシア人スタッフからの話
・インドネシアには介護施設が少なく、お金持ちしか入所できない。
・日本に入国後、日本語を勉強して5年後に当施設に就職した。
・将来の夢は、日本の介護施設の良さをインドネシアに伝えたい。
〇 日本人スタップの外国人留学生への指導について
・育成には人間性を伸ばすこと。
・介護の真の目的とやりがいを伝えること。
・留学生を指導しながら日本人スタッフも共に成長すること。
・介護記録の作成は、日本人スタッフが付き添って指導しており、現在では入所家族宛ての「おたより」が作成できるようになっ
た。
講師 西川(株)ネーブルハウス箕面営業所 職員4名
ポールウォーキングは、両手にポールを持つことで通常のウォーキングでは使われない上半身の筋肉も、ポールを両手で持つだけでし
っかりと動かすことができる。短時間で効率的な有酸素運動が可能で、筋力アップだけでなく認知症予防や将来的な介護リスクを下げる
ことも期待ができる全身運動です。
→ 転倒予防 → 運動効率アップ → 姿勢改善 → 楽しいから続けられる →
講義当日は生憎の雨模様のため隣接する公園を使用できなかったため、教室内の狭い場所での実践となった。最初は皆さん少し戸惑
いが見えましたが、直ぐに慣れておられました。
講師 池田泉州銀行リテール営業部 大西千枝子 氏 他2名
□ 相続に関して大きな民法・不動産法改正
〇 相続登記の申請の義務化……2024(令和6)年4月1日施行
所有者不明土地の発生を予防しようとするため、相続登記の申請を義務化するもの。
〇 相続人申告登記……2024(令和6)年4月1日施行
不動産を所有している方が亡くなった場合、その相続人の間で遺産分割の話し合い中
は、全ての相続人が法律で決められた持分(法定相続分)の割合で不動産を共有した状態
となる。そこで、より簡易に相続登記の申請義務を履行することができる仕組みが新た
に設けられた。
〇 所有不動産記録証明制度……2026(令和8)年4月までに施行
登記官において、特定の被相続人(亡くなった親など)が登記簿上の所有者として記録されている不動産を一覧的にリスト化し、
証明する制度が新たに設けられた。
〇 住所等の変更登記の申請の義務化……2026(令和8)年4月までに施行
これまで住所等の変更登記の申請は任意とされ、かつ、その申請をしなくても所有者自身が不利益を被ることは少なかったこと
や、転居等の度にその所有不動産について住所等の変更登記は負担であるとの指摘がある。そこで、住所等の変更登記の申請を義
務化することで、所有者不明土地の発生を予防しようとするもの。
〇 相続土地国庫帰属制度の創設……2023(令和5)年4月27日施行
所有者不明土地の発生予防の観点から、相続等によって土地の所有権を取得した相続人が、法務大臣(窓口は法務局)の承認によ
り、土地を手放して国庫に帰属させること を可能とする制度を新たに創設した。対象外となる土地もあり。
□ 遺言に関するアレコレ
〇 自筆証書遺言
・ 遺言者が全文、日付、氏名を自書しハンコを押す。
パソコン等での作成や代筆されたものは不可。日付は2022年10月14日と正確に。
遺言書が数枚に渡っている場合でも、一通の遺言として作成されたものとして確認が取れれば、その内の1枚に日付、氏名、捺印が適法にされていれば有効。
財産目録をつける場合は、パソコン等で作成や通帳のコピーや不動産の登記事項証明書の添付でも可だが、財産目録の全ての用
紙に署名、押印が必要。
遺言書を必ず封筒に入れるという法律の規定は無い。
封筒に入っている遺言書を勝手に開けると5万円の過料が適用されるので、家庭裁判所に持参すること。
・ 自筆証書遺言保管制度………2020(令和2)年7月10日から制度開始
法務局(遺言書保管所)で自筆証書遺言を預かってくれる。この制度で保管されると「検認」は不要。保管する遺言書は種々のル
ールあり(用紙はA4、片面で記載、既定の余白が必要等)。
※ 「検認」とは、遺言の偽造・変造を防止するために、遺言の存在、内容、形状などを明確にして相続人などの関係者に通知
する手続きをいう。
・ 公正証書遺言
遺言者が公証人に遺言の内容を口授し、公証人がその内容を筆記して作成するもの。作成の際は、遺言の内容に利害関係のない
2人以上の証人が立ち会う。遺言者と証人が内容確認をして署名押印を行う。その後、公証人がこの遺言書を作成したことを付記
して署名押印して完成。
遺言書の原本は公証役場に保管され、正本と謄本を遺言者に交付する。
〇 遺言事項
・ 相続分の指定
相続人が相続する割合を法定相続分とは異なる割合で指定できる。
・ 遺産分割方法の指定
どのような方法で遺産分割を行うかを指定できる。
「現物分割」……遺産を現物のまま各相続人に引き継ぐ方法
「換価分割」……遺産を売却して金銭に変えて各相続人に引き継ぐ方法
「代償分割」……不動産のように分割しづらい遺産を、特定の相続人が現物のま
ま相続し、その相続人が他の相続人に代償金を支払う方法
・ 推定相続人の廃除及び排除の取消し
相続人について一定の事由(遺言者に対する虐待、重大な侮辱、その他の著しい非行)がある場合、家庭裁判所に請求して、そ
の人物の相続権をはく奪することを排除という。
また、遺言により、排除の意思表示・生前排除の効力の取り消しの意思表示をすることができる。
・ 「相続させる」「遺贈する」は意味が違う
「相続させる」……贈与する先が法定相続人の場合のみ使用できる。
「遺贈する」………遺言により遺言者の財産を他人に贈与すること。
※他人に遺贈する際、遺言を残さない時は「贈与」になる。
〇 どんな時に遺言が必要(4つの事例)
□ 安心して長生きするために(遺言代用信託)
講師 池田炭振興協会理事 壇正規 氏 (炭しょっぷ・だん代表)
<池田炭(菊炭)について>
O お茶炭(池田炭)と紀州備長炭は日本の木炭、世界の木炭の傑作であるとのこと。
〇 池田市の三大産業とは、「酒」「植木」「炭」です。
〇 歴史と将来等
・池田市伏尾町の「久安寺」が1145(久安元)年から1870(明治3)年まで宮中御茶用とし
て池田炭を献上し、1595(文禄4)年には豊臣秀吉が「久安寺」で「観月の茶会」を催
したとの伝聞あり。
・室町末期から江戸初期に、茶の湯の師匠、武野紹鷗や千利休らにより炭の改良が行われ
たと伝わる。
※ 武野紹鷗(たけのじょうおう)……室町末期の茶人(1502~1555年)、堺の町人で侘
茶の道具を考案し、弟子の千利休に伝えた。
・池田炭(能勢の菊炭)は、その昔、銀の精錬用として焼かれ始めたが、あまりにも良質なため池田・大阪方面にも出荷され、やがて京都の茶席などに使われるようになった。
・菊炭は名前の由来どおり切り口が「菊の花」のように均一に割れ目があり、燃え尽きた後にも白い灰がそのままの姿で残るな
どの風情、火付き・火持ちが良く扱い易いことから、現在も茶の湯炭として評価が高く、お茶席には最高級茶炭として池田炭
が使われている。
・池田炭は能勢の妙見山で焼かれ(能勢の菊炭)、池田が菊炭の集積地であったため、「池田炭」と名付けられ、池田市新町や綾
羽町には大戦後の頃には池田炭の問屋や小売店が数多く存在していたが、電気・ガスの普及より炭需要が著しく減少し、現在
では講師経営の「炭しよっぷ・だん」だけになったとのこと。
・池田炭の生産量は、明治時代には年間1,500t、現在では2軒で13tとのこと。
・池田炭の炭焼きは、現在、2人の高齢の方が焼いているが後継者が見つからず、いつまで炭焼きが続くのか心配されている。
・最近は炭のブームもあってかなり見直されていて、お部屋のインテリア、消臭・除湿・マイナスイオン発生・水質や空気の浄
化などの効果があると言われ、炭本来の使われ方と異なる使い方が最近の傾向とのこと。池田炭をパウダーにして和菓子・洋
菓子に入れたり、石鹸にした商品も開発され販売されているとのこと。
〇 池田炭の特徴等
・クヌギの黒炭
・能勢の7~8年もののクヌギの木を使用(クヌギの木の下部分をある程度残して切り、再び生えてくる部分をカットする方法)。
・炭を焼く時の温度は800℃、7~10日間は寝ずの番で焼く。樹脂が残るので割り口が菊に似ている。
・池田炭は値段が高い。
・備長炭よりは消臭効果が大きい(家中の消臭には1俵(12kg)が必要。10cm以下の炭1本を冷蔵庫に入れると次の日に消臭効果
が表れる。冷蔵庫の炭は6か月経過すれば流水で洗い、干せば再利用できる。)
※紀州備長炭の特徴
うばめやしの白炭、1,000~1,200℃で焼くので樹脂が残らず、目が詰まって固い。焼き終わった炭は砂と灰を混ぜた中
で冷やしていく。日本で一番火力と日持ちが良い。
講師 青木 一章 氏(麻田藩青木家分家14代目)
〇麻田藩の歴史
・江戸時代1万石の小藩で250年間、外様大名でありながら所領替えのなかった珍しい大名
・青木重直(一重の父 86歳で没)は美濃国安八郡青木村(岐阜県大垣市)に在し、土岐頼重と斎
藤道三に仕えた後に豊臣秀吉に仕え、摂津国豊嶋郡に1,400石(後に1,700石に加増)を拝領。
・初代藩主青木一重(従四位下民部少輔 78歳で没)は父重直と同じ青木村で生まれ、今川氏真、
徳川家康、丹羽長秀に仕えた後に豊臣秀吉に仕える。姉川の合戦等で武功を挙げ、1585年
豊臣秀吉より摂津国豊嶋郡、伊予、備中に1万石を拝領、1615年徳川家康より1万2千石を
安堵。1617年の一重の弟の可直(旗本青木家)に2千石を分与。
※青木家の陣屋は、現在の阪急電鉄蛍池駅西側、蛍池公民館の付近に位置し、規模は
南北250m、東西190m、明治の初めに麻田村に返還された。
※「陣屋」とは、江戸時代の城郭のない小藩の大名の居所。
※麻田藩の所領地は、現在の池田市南部、豊中市北部、箕面市西部、岡山県笹岡市の一部。
・本家9代の青木一貫は、元は宇和島伊達藩10万石伊達遠江守村年の三男伊達伊織で8代青木一新の養子となる。室は一新の娘。
・分家初代藩主青木宗忠(一重の実子)の正室は、真田信繁(幸村)の娘(カナ)。
・本家14代青木重義は明治4年に麻田藩知事を拝命。
・麻田藩に関わる寺社
佛日寺(池田市畑)……麻田藩の菩提寺(歴代殿様墓所・家臣団墓所)
方廣寺(三田市木器)……本家2代目藩主墓所、重兼隠居寺
瑞聖寺(東京都品川区白銀)……青木本家歴代墓所
亀の森住吉神社(池田市)
・本家2代藩主重兼の時代に仁和寺の造営奉行、佛日寺の創建、多田院(川辺郡)の再興、宇治の萬福寺の普請奉行、隠居寺方廣寺創建
のために多額の借財をした。その借財を返すために酒米を多く収穫して酒屋に高く売りつけた。
・青木家(分家も含む)の家来の数は、1863(文久3)年当時で110名であった。
・江戸初期やの中期の大名の参勤交代の時の青木家のお供の数は10名程度であったとのこと。
・家紋と瓦紋は、「三ツ盛り洲浜」、「洲浜」とは、平安時代から縁起の良い紋様として受け継がれ、浜辺と入り江の姿を表わしたも
の。
・家紋「青木富士」のいわれ
大坂城が落城後に青木一重が徳川家康に二条城に召し出され、藩領を安堵の上に徳川家に仕えることとなる。この時、一重は「富
士山が欲しい」と所望するが、家康はそれを許さず樹海を「青木ヶ原樹海」と命名し「富士に霞」(青木富士)を家紋に与えた(青木
家のみ)。
・「六本木」のいわれ
青木家江戸屋敷の周辺には、青木家、一柳家、上杉家、片桐家、朽木家、高木家の屋敷があった。「木」に因んだ六大名屋敷が存
在したため「六本木」と名付けられた。
※江戸時代の日本の人口は、大凡 2,500万人 明治の初めでは、大凡 3,400万人
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